見世物社会

 

檻とは一種の箱であり、箱はあらゆる形を成してこの社会に平然と存在している。それはひとつふたつの話じゃない。そして、私たちはその全てを指摘しようとした時、どうしても見逃してしまうものが出てくる筈だ。

 

12月26日に放送されたTBS番組「水曜日のダウンタウン」内の企画で、東京の有名遊園地「としまえん」にて芸人クロちゃんを檻の中に入れ、一般公開するというイベントが行われた。

これは番組内で罰ゲーム(ペナルティ)として行われたものであったが、クロちゃんを一目見たいと市民が殺到し、檻の周辺は混乱に陥った。近隣住民からの苦情も入り警察が出動すると、協議の結果、午前2時頃に同イベントは中止された。

 

この企画の予告を聞いた時、なんて恐ろしい企画だと、そう感じた。

一人の人間を檻の中に閉じ込め、自由を剥奪し、人々の見世物として笑いを取ろうというのである。それはその一定期間、彼を人間として扱わないということを示していることと同義だった。

 

しかし私がこの一連のニュースを聞いて最も恐ろしいと感じたのは企画のひとつとして人間を檻に閉じこめることが行われたことではない。閉じ込められた人間見たさに深夜にも関わらず大量の人々が殺到したことである。

暗闇の中でスマートフォンの光が連なり、フラッシュが絶え間なく輝く。彼らは物珍しさにその場を訪れ、面白がって檻に閉じこめられた人間という名の動物を見学する。

その様子だけでも到底、良い気分で見ていられるものではない。

 

だが、このようなことは決してあの遊園地だけで行われているわけではない。

最初に述べたように、檻とも呼べる箱は私たちの生活する世界のあらゆる場所に存在している。見世物小屋は今日も観客を笑わしている。意図せず、無意識に、学校で、会社で、様々な場所で。

 

たとえば私は中学一年生の時、初めての音楽のテストで校歌を歌った。

私は本来地の声が低く、一般的な女性の声とは離れた声質をしているのだが、当時は歌となると話が違った。地の声からかけ離れたソプラノの音域で校歌を歌い、特に問題はなかった。私にとっては。

 

しかし後日、林間合宿の時だ。

自由時間のある時私はクラスメイトの何人かに呼び止められ、こう言われた。

「校歌を歌って!」と。

今考えれば適当な理由をつけて断れば良かったのだろうが、当時の私にそのような知恵はなかった。何故歌って欲しいとお願いされるのかも分からないまま、私はクラスメイトの彼女たちの言う通りテストの時と同じく校歌を歌ってみせた。

 

何度も言うが、適当な理由をつけて断ればよかった。

校歌を歌っている最中から聞こえてくるのは笑い声。歌い終われば今度は「上手いねえ!」といった準備された感想が爆笑の渦の中で聞こえてくる。

彼女らが私にお願いをした意味を、私はその瞬間にようやく理解するに至った。

要するに彼女らは私の普段の声と歌声の違いが面白おかしく、或いはその歌声が変であることが面白くてたまらなく、私にそんなお願いをしてきたのだ。

 

私はあれ以降、まともに高音を歌えなくなった。高い音を喉から出す度にあの時の記憶が顔を出すのである。これが治るだろうという道は、今のところないような気がする。

私はあの瞬間、見世物小屋パフォーマーだった。誰もが面白がって私を取り囲んで眺めていて、私は逃れられない檻の中にいた。

今もおそらく、そうした檻の中にいる人々がいることだろう。そこにも、かしこにも、もしかしたら私が気付いていないところにも。

 

今回のとしまえんでの事件は番組内の「モンスターハウス」という企画から起こったものらしいが、本当のモンスターとは誰なのだろうか。

そんなことをふと、思ったりしている。

 

 

私を変えるということ

 

小さな頃から自分のことが嫌いだった私は、たびたびお風呂の中で理想の「私」を描いては、「このお風呂から上がったらその理想体になるんだ」と誓っていた。

そんな癖が出来てから何年が経っただろう。残念ながら未だにその誓いが叶ったことはない。

 

別に、何も変わらなかったわけではなかった。

たとえば体重は一番重かった時よりも10キロほど落ちたし、それに合わせて体型も変わった。あの時に理想としたスリムな女性の姿には未だ程遠いが、それでも過去と比べて変わったところだといえるだろう。

しかし、それだけでは不十分なのだ。

もっと綺麗な女性になりたいし、もっと周囲に正しく気を配れる優しい人になりたいし、もっと博識で、もっと英語も喋れるようになりたくて、もっと、もっともっともっと。

 

……ここまでで察しがつくと思うが、私の描く理想の私とは、ありとあらゆる事に関して完璧な、最早別人に近い存在である。

イメージをするだけならタダだと思うが、この理想と現実の差異に苦しみ始めてしまうとタチが悪い。「どうしてこう出来ないんだ」「また失敗してしまった」と自己嫌悪が強くなり、「こんな自分じゃなくてもっとこうなれれば」と再び理想の自分を生み出しては、ぐるぐると同じことを繰り返してゆく。

一応私にとって浴室で理想の自分を描く行為はそれまでの自己嫌悪のリセットであり、新たな自分の誕生をイメージしているのだが、結果は既に述べたように抜け出せない悪循環の最中である。

 

自分を変えるということはとても難しい。

特に体型や知識の面ではなく、思考を変えることに関してはある程度の長い時間を消費することだろう。ダイエットに励んだり勉強を続けたりすれば体つきが変化したりそれ相応の知識が身についたりするだろうが、自分の性格を変えたい場合にはその実感を感じにくい。

また、必要な時間は絶対に一朝一夕のものではない。それまで美しい薔薇園であった場所を一夜にして木々の生い茂る森に変えることが不可能なように、私達は変化に多大な時間がかかることを覚悟しなければならないし、努力しなければならないだろう。

 

私は今も昔も、自分が嫌いだ。

できることなら今すぐにでも自己嫌悪に陥ってばかりの自分を変えたいが、私達はどうやら確実な一歩一歩を進んでいかなければならないようである。

その一歩とはたとえば認知行動療法などだろうか。意識して物事への捉え方を変えてみる訓練を行うことによって思考の軌道を修正していくことだが、これぞまさに地道な努力が必要だ。

 

ただ、道は遠いけれど、変わらなければいけないタイムリミットが存在するわけでもない。何かに急かされて「変わらなければならない」と思っているなら、急かしているのは自分自身に違いない。

ゆっくりで良い。それに、「嫌い」から「そうでもない」になれたなら、この苦しみも今よりかは楽なものになるだろう。その分だけ“変われている”のだから、素晴らしいことではないだろうか。

 

私はいつか、風呂場の鏡で自分自身に問い掛けることをやめたい。

その日その時の私を殺すことは、きっと不可能なのだから。

明日、もしかしたら一歩前へ歩けるかもしれない可能性に期待はせず夢想するくらいで、ゆっくり身体を暖めて休みたい。

 

 

ギブアンドテイクへの依存

 

 

世の中には必要なギブアンドテイクとそうでないギブアンドテイクがあると思う。

前者はたとえば所謂形式的なもので、お返しをしなければならないものとかだ。新年の挨拶などがこういうところに入るだろうか。欠かしてしまうとマナー違反と捉えられかねない。

では後者はというと勿論前者に当てはまらないもの全てであり、これは人によってその判断が異なるところだろうが、私にとってはバレンタインとホワイトデーの関係なども此処に入ると思う。


この必要でないギブアンドテイクの基準はというと、私の場合「テイクがなかった場合に個人的な怒り或いは恨みが発生する可能性のあるもの」であり、つまり「なんで返してくれなかったの」と個人的感情に支配される事である。それはマナー違反とは異なる発生源から生まれる感情であり、私達はしばしばその思考に囚われがちになる。


ギブアンドテイク、というのは何もプレゼントだけを指すわけではない。

好意、優しさ、etc……それら形にならないものも与える事が出来るが故に、返される事を求めてしまう。見返りを打算してしまうのは人間の想像力からして仕方がないのかもしれないが、私はそこから見返りを「期待」してしまえば最後だと思う。

「優しくしてあげたのに」「こんなにも好きなのに」という感情は既にこちらがギブした後、「期待」したテイクがなかった場合に生まれるものであるが、そもそもギブした相手がそれを求めていたかどうかを考えるべきだ。ギブする側が勝手に好意や優しさを差し出し、それに対して必ず同じ程度の好意や優しさが返ってきてくれるかといえば、それはギブする側が過剰に「期待」しているだけなので確証はないし、テイクする側は感謝として返してもそれ以上を行う必要は無い。何故ならそれは向こうが“勝手に”差し出しているだけだからである。


では、必要のないギブアンドテイクの関係性は悪なのか。

私は「ノー」だと思う。矛盾しているように見えるかもしれないが、私が悪とするのはギブする側が過剰に「期待」し、結果としてギブアンドテイクに依存してしまう事のみである。


そもそも、私達は自らの意思や判断で優しさなどを相手に提供する。提供された優しさが適当な質、量であった場合、大体の相手はそれを喜んで受け取り、遅かれ早かれ、或いは積み重ねによって、いつしか「お返しをしたい」と自然に思うようになる。これがなければなんと殺風景で恐ろしい人間関係が蔓延る事だろう。たとえ自然の優しさだろうが故意的な優しさだろうが、人間関係はそれを互いに提供し合う事で良質なものを保つ事が出来る。

しかしそれに依存し、多くのテイクを期待してギブをし始めると、そのバランスが崩れてゆく。「あんなに優しくしてあげたのに裏切られた」の「裏切られた」はかなりギブした側の歪んだ認知によって生まれた解釈だ。そもそもテイクする側はそこまでの優しさを必要としていなかったのかもしれない。

 

 

話は変わるが、ギブアンドテイクとまったく異なる言葉にアガペーというものがある。

これは見返りを求めない愛の事であり、キリスト教における神の与える無償の愛、また不変の愛がこれにあたる。


おそらく理想としては誰もがアガペーを目指すべきだ。理想としては。

全人類が他者にアガペーであればテイクを「期待」する必要はなく、誰にでも平等に愛が与えられる。勿論のことながら裏切られる心配もない。何故ならアガペーは“見返りを求めない”からである。


ただ、全人類がそう易々とアガペーの思考に到れるかといえば難しいところだ。

やはり私達は「期待」する。バレンタインデーにチョコを渡した本命からはホワイトデーにお返しが欲しい。そんな風に、「期待」する。

世の中はギブアンドテイクで成り立っているという言葉を聞いた事がある気がするが、満更間違ってもいないんじゃないかと、そう思う。


ただ、せめてその関係に依存してしまわないように。個人のエゴを歪めて裏切りを作り上げてしまわないように、気を付けていきたい。

 

 

鏡の向こうの「私」〜11月の備忘録〜

 

 

11月が終わる。

今月はとても長いようで短く感じた1ヶ月だったし、私としてはとても苦しんだ1ヶ月だった。

 

月の初め頃から段々と気持ちが落ち込むようになり、それまで少しの間落ち着いていた過食行為が再び勢いを増した。最初は「よくある気分の波で、また戻るだろう」と考えていたけど、状態は良くなるどころか悪化していくばかりで、やがて予定のない日は部屋で何も出来ずに横になり続けるようになった。

何もしたくなくて、動けなくて、それでも何かをしたいし、しなければならない事もあった。その矛盾に苦しんで、横になりながらひたすら泣いた。ストレスで吸っていた煙草の量が増えた。前職を退職してから2ヶ月半、遂に退職時よりもひどい状態に陥った。

 

誰と何を話していても心はどこか遠いところへ行ってしまったようで、大袈裟な話ではなく本当に「動けない」。熱があるわけでもなんでもないのに、ただただ「動けない」。

そして、その状況から誰かに助けて貰いたくて、誰かに「辛い」と言いたくて、それなのに私は誰かに言うことはおろか、SNSに投稿する事すらも躊躇った。言ってはいけない気がした。誰もが頑張っていて、辛いのはみんな同じだから、こんな風に横になって時間を浪費している人間がそんな事を言っていい権利などある筈がないと、そう考えていた。私の吐く毒で、誰かの気分を害したくないとも、そう思っていた。

 

やがて、8月以降ずっと行っていなかったメンタルクリニックを久し振りに訪れる。

うつ病と診断された当時、私はなんとなくだが抗うつ薬に該当する薬を飲みたくなくて、その旨を伝えると“経過次第”という話になったのだが、私はその日ここまで述べたような状況を主治医に話し、相談の結果やはり抗うつ薬を始めようという事になった。

 

そして薬を初めて飲んだ次の日、私はいつもよりも格段に早く布団から起き上がれて、久し振りに趣味であるイラストを描く事が出来て、珍しくお風呂へ入る事を躊躇わなかった。入浴後には髪を乾かせたし、その後に布団に入らず部屋で横になる事もなかった。

効果は人ぞれぞれだと思うが、薬のすごさをここまで感じたのは初めてだったと思う。夕飯の時に母親に「昨日までと全然違うね」と言われた事を鮮明におぼえていて、ああやっぱり家族が見ても明らかな程に崩れていたのだな、と感じた。

 

霧がかっていた思考が晴れていくように、ようやく色々な事を前向きな気持ちを含めて考えられるようになってきている。こうしてブログを書いているのも、体調が良くなってきている証拠だ。

だからもう少しだけ、この最近で考えた事を書いてみようと思う。

 

 

以前、私は世間の思う「良い子」でなければならないと考え続けていたと書いた。

 

hrmymk.hatenablog.com

 

最近になって、こうも思う。

私は世間にとっての「良い子」でありたいのと同時に、私と関係性を持つ周囲の人々全員にとっての「良い子」でありたがっているのだ。

親は勿論、友人、知人、色んな人に。

その人たちにとっての理想の「私」を持つ──私の対人面はそんな形をしているし、実際社会にだって、同じようにそうならなければならない状況が山ほど転がっているだろう。

 

勿論、それらの「私」の中には本来の私そのままの思考で出てきた「私」も含まれる。それが適して落ち着いている環境もあるし、それは“私”にとっても居心地がいい。

ただ、明らかに本来の“私”の上に膜を張って、その人の理想に叶った「私」を演じる、そんな事も起こっている。学校や会社などの社会でならよくある事だろうというのは今さっき述べたばかりだけど、友人関係でもそうだというと、なかなかに苦しい。

 

何故、「私」なのだろう。

おそらく、一度合わせてしまった「私」がえらく相手に気に入られてしまい、二度と“私”を出せなくなってしまったからじゃないだろうか。

その人に好かれる瞬間を知ってしまったが故に、ありとあらゆる嫌われる可能性に恐怖して、もう“私”では愛されないと思ってしまう。だからなるべくその人にとっての「良い子」な「私」になろうと努めてゆく。

 

自己肯定感が低い為に「相手に対して自ら出来る全ての犠牲を払って関係性を強く持とう」と、少なくとも私はしてしまう。それくらいしないと誰かに愛されはしないと、心のどこかで信じている節があるからだ。

 

だけど、本当にそうなのだろうか。

どう考えてもその信条は自分に多大な負担をかけているし、数ある友情関係がそれ程までして続けていきたいものかと言われれば、決して全てがそうではない。

もしかすると“私”を相手にしても大切な友人達であれば変わらず接してくれるのかもしれないし、ただ単に、私が考え過ぎているだけなのかもしれない。

 

思考はぐるぐると回ってゆく。

明日には、一時間後には、変わっているかもしれない。

それでも何となく今は、もっと気楽に生きれる「“私”」の姿があるのではないかと、そう思えるようになっている。まだ手探りで、未知数だけれど、自分の内側の小さな欠片から一つずつ許してあげられるようになれれば良いと、そう考えられるようになっている。

 

 

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音楽の力

 

そんな番組が1年に1回?くらいある。

とはいえ私は別にその特番の話をしたいわけじゃない。そもそも私はあの特番を観ている時に「音楽の力」を感じた経験は今のところない。

 

ただ、「音楽の力」というものは、確信を持って「ある」と言える。

それは映画のスタッフロールで流れる主題歌でも、ラジオから流れる週刊チャートでも、音楽プレーヤーのシャッフル再生でランダムに流れる曲でも、何処にでも潜んでいる。

ふとした時、或いはこちらが求めた時、音楽は度々私達に向けて「力」としか例えようのないものを与えてくれる事がある。

 

私自身、最近そう感じる事が多くなってきたのでこの記事を書いている。

私は昔から所謂ジャニーズ系が好きで、その中でも関ジャニ∞や嵐は何度もコンサートに通っているファンだ。また、それとは別にM.S.SProjectという、エンターテイメント集団なのか音楽グループなのかこれと称するものに迷う四人組のファンも続けている。(こちらに関しては気になる人は検索してみて欲しい。ビジュアルに戸惑わせてしまったら申し訳ないが)

その他にも米津玄師とか、福山雅治とか、映画やドラマで気になった曲とか、私のWALKMANにはバラエティに富んだラインナップが並んでいる。シャッフル再生で米津玄師の「Lemon」が流れた後にDALIの「ムーンライト伝説」が流れ出すような、そんな事が日常茶飯事だ。

 

移動中にはいつもイヤホンで音楽を聴いていて、お風呂でも聴いている。勉強してたり作業してたり、そういった時にも聴いてたりする。常に側にあるその音に普段は落ち着いたり楽しんだり、かと思えば何も思わなかったりする事もある。

ただし、たまにあるのだ。耳に流れ込むそのメロディが、心を鷲掴みにしたり貫いたり、そういった事が、たまにある。それは私の場合いつも私が落ち込んでいる時に起こり、威力の大小は問わずとも私の中に何かしらの痕跡を残してゆく。

 

たとえば、今年の春。

私は卒業旅行でヨーロッパに行った。

私はそこで度々失敗をしては自己嫌悪に陥り、その所為もあって思わずカッとなってしまった事が更なる自己嫌悪へと続いていった。

旅行自体は楽しかったけれど、帰りの飛行機の中で自らの行いを猛反省していた私は、丁度シャッフル再生で流れてきた米津玄師の「WOODEN DOLL」に耳を奪われた。

 

あなたが思うほどあなたは悪くない 誰かのせいってこともきっとある

痛みを呪うのをやめろとは言わないよ それはもうあなたの一部だろ

 

気が付いたら私は、眠る友人たちの横で泣いていた。止まらなかった。そんな事は初めてで、私は暫くその曲を繰り返しながら気持ちが落ち着くのを待った。そうしたらその後の気分が幾らか楽になって、静かに残りの旅路を眠って過ごす事が出来た。

 

あの時の衝撃はなかなか抜けない。

それまでもあの曲を聴いていた事はあったけれど、あのような感覚を覚えたのはあの時が初めてだった。後日同じ曲を聴いてもこれまた同じ衝撃は受けない。ただ、何となく聴く度に元気を貰えている気がする。そんな気がする。

あれは間違いなく、音楽の力だ。

 

似て非なる衝撃はあれから度々訪れた。

今年の秋、いつものようにシャッフル再生で流れてきた関ジャニ∞の「象」にも、それまで聴いてた時とはまったく違う衝撃に揺さぶられた。元々大好きな彼らの曲だから何度も聴いたはずなのに、それでも違った。好きな曲でさえも、その時の私の心情やその他諸々の状況によって、耳に届く音はその力を変える。

 

これからもどんどん君が素晴らしくなる 案外どんな場所にだって行けるよ
その足で踏み出せ!世界は変わる!

 

メッセージ性を持った歌詞が歌手の歌声と絡み合い、力を持つ。「象」はまさしくその通りで、必死に歌声を響かせる彼らから発せられる力にも、また突き動かされたのかもしれない。

 

 

そして最後に紹介する曲。

これは、この記事を書く事になったきっかけの曲だ。

私はその歌をずっと前から知っていたが、タイトルを見る度に意図的に避けていた。なんとなく、なんとなく聴くのが怖かったのだ。きっとただ絶望を歌う曲ではないと察していたからこそ、怖かった。

しかし今月、私は偶然にもその曲を聴いてしまう事となる。

タイトルは、「命に嫌われている」

 

「死にたいなんて言うなよ。」
「諦めないで生きろよ。」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。

 

開幕、そんな歌詞が朗読のように歌われる。

淡々と、淡々と、歌い上げられてゆく。

私はその歌をイヤホンから聴いた時、自分の直感は間違っていなかったのだと知った。何故なら本当に怖かったからだ。私は、その歌が怖くて、怖くて、それなのに聴くのを止められなかった。

 

それでも僕らは必死に生きて
命を必死に抱えて生きて
殺して あがいて 笑って 抱えて
生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。
 
この世に数多くある希望の歌に溜息をつくような始まりから、最後にはこれもまた一つの、希望に似た形の歌として変わっていく。
歌であると同時に叫びであるかのようなこの曲に私の心は真ん中から撃ち抜かれ、私はその後すぐにiTune Storeから同じ曲を探して購入した。あれだけ避けたがっていた曲を今では毎日のように聴いている。初めて受けたあの衝撃の味を確かめるように、一つ一つその歌詞を自分の中に問い掛けていくように、聴いている。
 
音楽の力、というものは恐ろしい。
時に人を傷つけ、時に人の心を動かし、時に人を癒す。
今日もまた、何処かで密かに誰かの人生を変えているのだろう。
もしかすると、私も、あなたも、そうなのかもしれない。

 

私は「ものさし」を知らない

 

 

人の限界はそれぞれ違う。

私は学生時代に毎年行われる体力テストの1000メートル走が大嫌いで、クラスの大半がゴールしている状況でもまだトラックを半周以上残していた。息は絶え絶えで、足は本当に走っているのかどうかも曖昧で、ゴールした時には本当に倒れるかと思った。毎年ビリなわけではなかったが、確実にクラスのワースト3位以内には収まっていたと思う。

つまり私は体力が絶望的になくて、クラスメイト達よりも早々に限界を迎えてしまうのだ。それはとても目に見えて分かりやすい限界だろう。何故なら1000メートルを走り切った私はそれはそれは辛い顔をして、息は高く短く繰り返されているのだから。

 

ただ、心の限界はどうだろう。

そもそも何処にあるのかも分からない曖昧なものだ。心は誰の目にも見えない。まさかみんなで心を取り出して1000メートルを走らせるわけにもいかないし、体重も身長も測れない。

 

そして何より厄介なのが、

心は嘘をつける器官である事だ。

 

身体は毎日沢山のお菓子を食べれば太るし、先ほどの私の過去のように走らせればどのくらいで限界が来るかが分かる。

 

しかし、心はそう簡単には裸になってくれない。どれだけつらい思いをしても、逆にどれだけ嬉しい事があったとしても、平然を装う事が出来る(ただし後者はとても難しいし、あまりする必要もない)。「大丈夫?」という言葉に「大丈夫だよ」と返し、返し方次第では相手を納得させることが出来てしまう。

その人の表情や言動がすべて真実であるわけがなく、だからこそ人間は面白い、と言う人もいる。確かに心が嘘をつけなければ多くの映画や本は生まれなかっただろうし、この社会もあっという間に崩壊するか、あるいはまったく別の形に生まれ変わるだろう。今この瞬間に全人類の心が嘘をつけなくなってしまったら、ありとあらゆるところで人間関係がたちまち壊れてしまうに違いない。勿論、私もそうなる。明日には戦争が起こってしまうんじゃないだろうか。

 

そういう意味では心がこういう形で良かった、と思えるのかもしれない。

でも、だからこそなのだ。

心がそういう仕組みであるからこそ、私達は相手の心の限界を知ることが出来ないでいる。そして、勘違いしてしまう。

 

決して見えるものではないけれど、おそらく心は身体のように人それぞれ違う形をしていて、人それぞれに出来ることと出来ないことがある。泣けると噂の恋愛映画の良さが分からないと話す人もいるし、人の多い飲み会が嫌いな人もいる。私達は日々その形の歪みに上手い嘘を重ねて、世間と同じであろうとする。

だけど嘘は嘘であって、本物にはならない。

たとえ大多数の人が耐えきれる悲しさでも、それで崩壊してしまう心を持っている人達がいる。同じ悲しみを心のコップに注いでも、泳げる人がいる一方でそれだけで溺れてしまう人がいる。その事実を訴えなければ、誰にも気付かれることはない。あるいはもし訴えたとしても、「その気持ち分かるよ」とか「みんなも同じだよ」とか、そういう言葉を返されるかもしれない。

 

だから私はこう思う。

一つとして同じ形のない心に注いだ時点で、たとえそれが同じ悲しみだとしても、“同じ”ものは一切ない。

つまり、誰の気持ちも本当の意味で共感することは出来ない。

 

そうといっても、私は別に共感して欲しいわけではないのだと思う。ただ、私たちの中に漠然と存在してしまった平均という名の「ものさし」に任せて心を測ったとしても、それはかえって誰かを傷つけることになるかもしれない。そんな事を思っている。

 

私は私の「ものさし」を知らない。

何故なら私と誰かは、まったく別の人だから。

身体も違う、生きてきた人生も違う、そんな人々に心の限界は同じだと、心の持ちようは同じだと、そんな不思議なことが起こるはずがない。

 

だけど今日も世間の「ものさし」は、誰かの密かなプレッシャーとなり、誰かの心を壊しているのだろう。

私もまた、その圧にうなされている。

 

 

「良い子」でなくなった日

 

 

昔から、世間の求める「良い子」でなければいけないと思っていた。

小学生、中学生、高校生と問題なく卒業し、四年制大学で大学生を修了して、社会人になる。ある程度年が経てば結婚をして子どもを作り、幸せな家庭を築いてゆく。

それが世間の求める「良い子」であり、私のイメージする「良い子」であった。

 

しかし、それは決して「当たり前」ではない。

中卒で働き始める人もいれば、高校卒業後は専門学校に入学して専門職を目指す人もいる。大学を中退して自らの夢を追う人もいるし、生涯結婚を必要としない人もいる。

人生は十人十色であり、正解はない。本来ならば他人の人生を最高だ失敗だと評価する事は出来ない筈だ。しかしながら社会がそれを出来てしまうのは、やはりそこに「世間」という巨大ながら曖昧なものが存在するからなのだろう。

 

「世間」は、評価する。

その人の言動、思考、生き方を、成功や失敗、普通か異常というように評価していく。それはさながらマルバツ問題だ。「世間」に合っているかどうか、それが「世間」のいう普通かどうか、回答は二つしかない。そして「世間」がバツをあげた時、対象者は“普通”ではなくなってしまう。当然、それは「良い子」ではない。

 

私の身近には昔から「良い子」と呼ばれる人と「良い子」とは呼ばれない人がいて、その両極端な評価が私の中で「良い子」の基準を定めた。私もまた「世間」に感化された一人だったのかもしれない。「良い子」は多くの人から褒められて、優しい噂ばかりを聴いた。私も、そうなりたかった。

 

幸運なことに地元の小学校で成績の良かった小さな私は「良い子」として扱われ、親族の間で持て囃された。褒められるという事は単純に嬉しい。だから私は「良い子」であり続けようとした。実のところ学業を除いた学校生活は悲惨そのものだったのだが、親の求める第一志望の私立中学に合格し、六年間で底辺からまあまあの成績まで学力を伸ばすと、永久F判定だった第一志望の私立大学に合格した。

家族は喜んでくれた。私が知る限りの周囲の人々も褒めてくれた。「世間」が私を許してくれている、そう感じた。過去の経験から自己肯定感を地の底まで削り切った私にとって、その感覚は自分のすべてだった。

 

ところで私はたった今述べた通り自己肯定感がまるでなく、他者に求められ肯定される事で自分を保っている人間なのだが、この生き方が根本から間違っている事に気付かされたのがつい最近の事である。

大学を無事に卒業した私は当然のように社会人になった。誰かに貢献する事でしか自分の存在意義は表れないと信じて疑わなかった私が選んだ職業は、介護士だった。やりたい事よりもやらなければいけない事が先行し、その先行した使命が勝手に自分のやりたい事として口から出ていた。おまけに、人員不足に苦しむ福祉業界での就活はさほど難しいものではない。説明会や面接の度に動悸や吐き気、腹痛に苦しんでいた私は一刻も早く就活戦争から離脱したかった。そんな事もあって、比較的面接で好印象を持っていたとある会社から内定が出ると、私はすぐに就活を終えた。

無事に社会人になれた私は昔から描いていた「良い子」のままでい続ける事に成功し、更には「優しい子」として評価された。

 

しかし、私は入社後5ヶ月経った後、うつ病にかかってその会社を退職する事となる。

仕事内容、その他交友関係の悩み、家庭問題など、様々な精神的ストレスが溜まりに溜まった結果だった。

 

私の献身には、限界があるらしかった。

私はどうやら、私自身も大切にしてあげて欲しいらしかった。

信じられないかもしれないが、その事実を私はその時、初めて知った。衝撃的だったし、何より申し訳がなかった。

 

私は何に申し訳がなかったのか。

自らの存在意義に等しい他者への献身に限界を感じてしまった事?イエス

精神的に崩れ落ちてしまった事?イエス

しかし、何より申し訳がなかったのは、私が「良い子」でなくなった事だった。

 

新卒で入社した会社を5ヶ月で辞めたという事実は、「世間」から見ればとてもだらしがない。勿論そんな事はないと思ってくれる人もいるだろうし、私自身なぜそれだけでやる気のない人間だのみっともないだの評価されなければならないのかと、反発心を得ないわけでもない。

ただ、「世間」はそこにある。誰が振り払えるわけでもなく、ただそこに存在している。そして「世間」が存在する限り、私達は評価されてしまうのだ。

 

「世間」曰く、私は普通ではないらしい。

両親は親戚に事実を伝えるのを躊躇っているし、既に「知らせない」という選択を取った相手もいる。

親友たちには話せたが、付き合いの少ない人々に言うのはとても怖い。

Twitterの大学関係のアカウントになど、とても呟ける雰囲気ではない。

この事実を知っている人間の誰がどう思っているかなど、考えるだけで身体が強ばる。

つまり私には今、「世間」が恐ろしい。

 

「世間」のイメージする“普通”とは何なのだろう。一体どこから来たものなのだろう。

その道を外れた今、私はこれまで歩いてきた道を振り返る。

この道は私だけのものの筈なのに、先など分かる筈もないのに、「世間」はその道の先を勝手に描いているのだろうか。そしてそれが、“普通”なのだろうか。

 

会社を辞めた後、祖母に話す事を迷っている父親に「◯◯もまともじゃなくなって〜、」と言われた事を、毎日のように思い出す。

まとも、とは何なのだろう。

少なくともやはり私は、「良い子」ではないようだった。

 

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